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東京地方裁判所 昭和44年(わ)758号 判決

主文

被告人秋月昭麿を懲役一年八月に、

被告人鈴木修一、同有村秀人、同高崎通浩、同遠藤哲史、同西田道夫、同若尾光俊、同吉村順一、同金子敏幸を各懲役一年六月に、

被告人若井英樹、同松木豊子、同藤川豊、同本多賢二、同四戸純一を各懲役一年四月に、

被告人三井一征を懲役二年六月に、

被告人圷久男を懲役一年一〇月に

それぞれ処する。

被告人らの未決勾留日数中、被告人秋月昭麿については二九〇日を、同鈴木修一については一八〇日を、同有村秀人については二〇〇日を、同若井英樹については一二〇日を、同高崎通浩については二三〇日を、同西田道夫については二四〇日を、同若尾光俊については二三〇日を、同吉村順一については二一〇日を、同金子敏幸については一七〇日を、同松木豊子、同遠藤哲史、同三井一征および同圷久男については各二五〇日を、それぞれ右各本刑に算入する。被告人本多賢二および同藤川豊については本裁判確定の日から三年間それぞれ右各刑の執行を猶予する。

訴訟費用中証人石田靖に支給した分は被告人秋月昭麿の、証人和田武に支給した分は被告人鈴木修一の、証人上野昇に支給した分は被告人有村秀人の、証人志賀光雄に支給した分は被告人若井英樹の、証人永渕明則に支給した分は被告人松木豊子の、証人太田晴美に支給した分は被告人高崎通浩の、証人高本恒二に支給した分は被告人遠藤哲史の、証人末永末男に支給した分は被告人藤川豊の、証人安部潔に支給した分は被告人本多賢二の、証人大〓景吾に支給した分は被告人西田道夫の、証人小河修司に支給した分は被告人若尾光俊の、証人西陸雄に支給した分は被告人吉村順一の、証人徳永正樹に支給した分は被告人四戸純一の、証人平原剛志に支給した分は被告人三井一征の、証人長谷川米造に支給した分は被告人金子敏幸の、証人石黒文彰に支給した分は被告人圷久男のそれぞれの負担とし、その余の証人に支給した分はその一六分の一宛を各被告人それぞれの負担とする。

理由

(本件犯行に至るまでの経過)

東京都文京区本郷七丁目三番地所在東京大学においては、かねてから医学部卒業生の卒業後の研修などをめぐつて同学部当局と同学部の卒業生をもつて組織する青年医師連合や、同学部学生自治会などとの間に紛争が生じていたが、昭和四三年一月には医学部学生自治会、青年医師連合らはストライキに入り、同年二月にいわゆる春見事件が発生するや同学部当局は、右事件を理由に学生研修生ら一七名を退学、停学、譴責、研修停止などの処分に付したところ、右被処分者の中には同事件の現場にいなかつた学生一名が事件の責任者の一人として譴責処分をうけているのみならず、右処分は学生らの運動に対する弾圧であるとして学生らのはげしい反発をうけ、同年六月になつて処分の白紙撤回などを要求する医学部学生らは同大学大講堂を占拠した。大学当局はこの占拠を解くため同月一七日に警視庁機動隊を導入したので、医学部のみならず他の学部の学生らも大学当局のこの措置にはげしい反感をみせ、大学当局を非とする学生らは、医学部の前記処分や機動隊導入などの大学当局の措置に抗議し、法学部を除く九つの学部で次々にストライキに入り、同月二八日には当時の大河内学長が同講堂において多数の学生らと会見し、誤認とみられる被処分者一名の処分を撤回する旨を発表したが、学生らの納得をうることができず、同年七月には同講堂の再封鎖がなされ、「東大闘争全学共闘会議」(以下全共闘と略称)が結成され、同講堂は全共闘派の学生らによつて本件の警察官による占拠の解除にいたるまで引き続き占拠されるにいたつた。

全共闘では、いわゆる七項目要求を大学当局に提示し、大学当局は、八月一〇日に告示を発表し、これを全東大生に郵送し、また医学部長、付属病院長は辞任したが、これらの措置によつて紛争解決の糸口は得られなかつたのみか、学生らはますます反発をつのらせ、ストライキに入る学部が次々とでてくるとともに、やがて右全共闘派らの学生らとは別個の紛争解決のための要求を打ち出したいわゆる民青系学生らが次第に他の一般の学生らに影響力を拡大してゆき、その結果両派の学生らは、学生内部における指導力を確立するためにはげしく対立抗争し、互に紛争解決の要求を出しまた大学改革をとなえながらも相手方を非難しあつて衝突を重ねるようになり、かねてからの大学当局と学生との間の紛争は単にそれにとどまらず、学生内部における指導権の争奪を目的とする両派の争いがからんでの暴力沙汰や両派学生による大学の建物の封鎖などを次々とうみ、同年一一月には紛争の責任をとつて大河内学長や、大学評議員全員が辞任するにいたつた。

しかし、その後次第に全共闘派の学生らは従来の医学部処分問題や、さきの機動隊導入を原因とした紛争の解決を越えて東京大学の管理運営の改革、さらには大学制度全般の改革のみならず、現在の社会体制の変革をもとなえるようになり、東大紛争はその突破口であるとして強硬に大学当局の紛争収拾措置に反対する立場をとるようになり、加藤学長代行が大学当局の紛争解決案を提案したがその効なく、事態は解決困難な状態のまま推移した。この間に同大学における両派の学生の暴力沙汰やそれによる多数の負傷者の発生、大学の建物の損壊などが瀕発し、大学の秩序は全く失われ、同年一二月下旬になつて翌年の入学試験の中止が決定せられるにいたつた。

大学当局は同年一二月から翌年一月初めにかけてしきりに紛争収拾を学生らに呼びかけた結果、昭和四四年一月一〇日に秩父宮グラビー場で七学部集会をひらき、医学部処分、今後の処分制度、警察力導入、学生の自治活動の自由、大学の管理運営の改革等一〇項目の問題について確認書を取り交した。しかし、右集会に応じた学生らは主として民青系の学生らであつたことから全共闘派の学生らを納得させることはできなかつたのみか、右集会をめぐつて前日の一月九日には両派の激しい暴力的衝突事件が発生して両派の対立抗争は激化し、同月一五日には、両派がそれぞれ全国から学外者を動員して東大構内において総決起集会を開くなど、この対立抗争は単に東京大学学生間における内部的抗争にとどまらず双方互に自派を支援する他大学の学生や労働者らの援軍を結集して対抗しあう険悪な情勢になり、治安上放置し得ない状況となつた。

大学当局は一月一四日に学外者の大学構内の立入を禁止し、さらに両派学生の衝突と、そのころすでに予想された機動隊導入に対してこれと徹底的に抗争しようとする全共闘系の学生らの集団の動きに対処するため、同月一六日本富士警察署長に警察官の出動を要請し、同月一七日午後一一時を劃して学内者学外者を問わず大学構内への立入を禁じ、兇器や危険物の搬入を一切厳禁した。

(罪となるべき事実)

被告人らは、いずれも「反帝学評」なる学生運動のセクトに属し、またはこれに同調するものであるが、全共闘派学生らの占拠を支援するため同講堂に、おそくとも昭和四四年一月一七日真夜中ころにはいつていたところ、同大学当局が右占拠を解除するため警察官の出動を求める状況に至つたので、全共闘派学生らと共に同講堂を引き続き占拠しようと企て、

第一、昭和四四年一月一七日午後一一時過ぎころから翌一八日午前七時ころまでの間、前記全共闘派に属しまたこれを支援する東京大学およびその他の大学の多数の学生らが、同講堂の占拠者の排除を警察官らが行う場合には、これに抵抗するため共同して投石、殴打などの暴行を加える目的をもつて、多数の石塊、コンクリート破片、角材、鉄パイプ、火災びん等を同講堂の要所要所に配置して準備し同講堂内に集結した際、右多数の学生らと共同して右目的を遂行するため、右兇器の準備あることを知つて同講堂に入つて右多数学生らの集団に加わり、もつて多数共同して他人の身体財産に危害を加える目的をもつて兇器の準備あることを知つて集合し、

第二、前記講堂を管理する東京大学学長事務取扱(総長代行)加藤一郎が、同年一月一七日午後一一時ころ同講堂を占拠する者らに対して直ちに同講堂を出て同大学構内から退去するよう要求したことを、被告人らにおいていずれもその頃もしくはおそくとも翌一八日午前八時すぎころまでに知つたにもかかわらず、同講堂内にたてこもつて占拠をつづける前記多数学生らと共謀して、右要求に応ぜず、同月一九日午后まで同講堂内にとどまり、もつて故なく人の看守する右場所から要求をうけて退去せず、

第三、前記多数の学生らと共謀のうえ、同月一八日午前八時三〇分ころから翌一九日午后三時すぎころまでの間、前記講堂において、これが不法占拠者らを排除検挙する任務に従事中の警視庁第四、第五機動隊等所属の警察官らに対し、多数の石塊、コンクリート破片、火災びん等を投げつけるなどの暴行を加え、もつて右警察官らの右職務の執行を妨害し

たものである。

(証拠の標目)(省略)

(確定裁判)

被告人秋月昭麿は、昭和四四年六月一一日に東京地方裁判所において、傷害、公務執行妨害の罪により懲役四月(執行猶了一年)に処せられ、右裁判は、同月二六日確定したもので、右事実は検察事務官作成の同被告人に対する前科調書によりこれを認める。

(法令の適用)

被告人らの判示第一の所為は、刑法二〇八条の二第一項、罰金等臨時措置法三条一項一号に、判示第二の所為は、刑法一三〇条後段、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、判示第三の所為は刑法九五条一項、六〇条に各該当するので各所定刑中懲役刑をそれぞれ選択し、被告人秋月昭麿については前記確定裁判のあつた罪と右判示第一ないし第三の各罪とは刑法四五条後段の併合罪の関係にあるから同法五〇条により未だ裁判を経ていない右各罪について処断することとし、各被告人らの右判示第一ないし第三の各罪はいずれも刑法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第三の罪の刑に併合罪の加重をし、その刑期の範囲内で被告人らにそれぞれ主文掲記のとおり懲役刑を科することとし、同法二一条により、被告人ら(被告人藤川豊、同本多賢二、同四戸純一を除く)の未決勾留日数中主文掲記の各日数をそれぞれ各被告人らの本刑に算入し、被告人本多賢二および同藤川豊については情状刑の執行を猶予するのを相当と認め、刑法二五条一項によりこの裁判確定の日からいずれも三年間その刑の執行を猶予することとし、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文を適用してこれを各被告人らに主文掲記のとおりそれぞれ負担させることとする。

(量刑の事情)

被告人らはいずれも「反帝学評」なる学生運動のセクトに属し又はこれに同調する学生等であつて、全共闘派学生らを支援してその諸要求項目貫徹の手段として同講堂の占拠を続けようと企て、ことに警察力の行使には暴力により徹底的抗戦をなすことを企図し、大学の施設の荒廃などには全く意に介せず、大量の石塊、火炎びん、角材、鉄パイプのほか劇薬や大量の食糧などまで持ち込んでさながら砦と化した同講堂に立てこもり、被告人らが属する「反帝学評」の守備位置として分担した同講堂四階南側屋上で防戦するため、同講堂五階学術助成協会室を拠点とし、主として右屋上から占拠者の排除にあたる警察官らに投石するなどして抵抗を行つたもので、警察官らの生命、身体に対して重大ら危険を及ぼすような犯行を二日間にわたつて繰り返し、その結果大学施設の荒廃、莫大な国家財産の損傷をもたらし、大学の研究教育の機能を著るしく阻害した責任は重大であり、たとえ本件犯行の動機が、大学制度の矛盾を突き、その管理運営を合理的なものに改めることを求めるためのものであつたとしても、その目的のためには手段を選ばず、組織的計画的集団的に兇暴な本件犯行を敢行したことは全く法秩序を無視した極めて違法悪質な行為である。

なるほど、前記の東大紛争の経過からも明らかなように、前記医学部の学生らの処分や昭和四三年六月の機動隊の導入がその後提起するに至つた諸問題は、誠に現在の大学制度が抱えている複雑にして困難な、かつ即時には解決不能な諸矛盾を白日のもとに露呈したといいうる。けだし、大学当局と学生らとの紛争が次第に拡大深刻化する過程において明らかとなつた教育者管理者側と学生側との思想の断絶は、賢明かつ実際的な解決策を生み出す障害となり、学生側のルール違反に対処するに大学当局が困惑した姿勢のままに時を移し、必要な時に適切な紛争収拾策を打ち出し得なかつたため、いわゆる大衆団交を手段とする学生が大学当局に対する反発をつのらせて行つたことが益々事態を紛糾させ、紛争を拡大し、医学部問題に端を発した紛争が全学的に波及して行つたとみることができる。紛争の拡大化の過程において、現代社会における大学の位置、国家と大学の関係、大学の自治とは何か、大学における学生の地位等学生らが提起した問題はいずれも深刻なものであり、これらの問題提起と、その解決を求めてなした学生たちの大学当局への要求のなかには、要求実現のためにとつた手段にしばしばルール違反とも云うべき行為があることは別として、正当とみるべきものもふくまれていたことは否定できないのであつて、被告人らはいずれも右のような学生らと共通した問題意識をその心情に有していたものと思われる。

しかしながら、全共闘派の学生らが大学制度の矛盾を鋭く突き、又その管理運営を合理的なものに改めることを求めると唱えながらも、自らが提示した七項目要求が大学当局によつて内容的にはその大半を受け容れられているにもかかわらず、学生運動内部の派閥争いや政治闘争の目的を遂行するため大学当局に対する要求項目貫徹のための手段と称して同講堂の占拠をつづけ同講堂の不法占拠を解除するため出動した警察官らに徹底的に抗戦し、その結果大学内の秩序の破壊と施設の荒廃、大学の機能麻痺をもたらした責任は重大であり、全共闘派学生らに属し、又はこれを支援するため同講堂にともにたてこもり、本件犯行に至つた被告人らの責任も同様にきびしく追及されなければならない。

被告人らは本件によつて起訴せられるや、本件は東大闘争という一個の目的遂行のためになされた行為であるが故に一月一八日一九日の東大闘争に関して起訴せられた全員を併合して審理するいわゆる「統一公判」でなければ審理に応じないと強硬に主張し、この主張が裁判所にいれられないと、出廷拒否その他の方法で極力裁判を受けること自体を拒否し、又は出廷しても勝手な振舞や発言を繰り返して訴訟指揮に従わず、一切の審理を拒否すると称して、事件の実体や情状等について主張立証することを拒み、訴訟当事者として常道に則した防禦権の行使を一切行なわないでいる。したがつて被告人の側から有利な証拠として斟酌すべきものはなんら提出されておらず、当然のことながら、被告人らの量刑にあたつて勘案すべき資料としては検察官提出の各証拠及び裁判所が職権で取調べ得たものの範囲内にかぎられることになる。

よつて、可能なかぎりにおいて被告人らの情状について、検討する。

まず被告人本多の情状についてみるに、同被告人の本件犯行に至つた動機やその犯行内容などは被告人の捜査機関に対する各供述調書や多数の写真等によつてかなり詳しく認めることができ、同被告人は警察官らに対しては一八日にはかなり激しく投石していることは明らかであるが、同被告人が本件犯行に加わつた動機は、一月一五日の同講堂前の集会に参加するため長崎大学の学友ら数名と共に上京し、右集会後都内の大学などに泊り、他の学友らは一七日夕刻九州に帰つて行つたが同被告人は在京の兄を訪れるため二、三日東京に残るということで当夜明治大学の部屋に泊つていたところ、同講堂の守備の人数が足りないから応援に来てもらいたいとの伝令が同大学に来た結果、同被告人もこれに促がされて再び同講堂に引返し、本件犯行に至つたもので、本件犯行に加わるにいたつたのはかなり偶然の事情によるものであると認められる。また当公判廷において将来自分としては体育の教師として真面目に勤めたい旨を真摯な態度で述べていることなどから推しても本件について改悛し、将来同種の犯行を犯すことはないと期待できるものと思われる。

被告人藤川については、当公判廷において、反省の態度を明白にしてはいないけれども、同被告人の捜査機関に対する供述調書等によると、同被告人は明治大学の反帝学評のメンバーの一員で一月一七日夜同大学の反帝学評の部屋で東大の同講堂占拠に関する情勢などについて話しあつているうちに、前記の伝令が同大学に来て応援を求めたので、被告人本多らと相前後して同夜遅く同講堂に入り、本件犯行に至つたもので、他の被告人らに比して特に重要な役割や行動をとつたものと認めることはできず、右各供述調書のほか当裁判所が職権で取り調べた同被告人の父の書簡等を検討するに、本件犯行後同被告人は強い改悛の情を抱き、一方同被告人には前科も前歴もなく、熱心な実父の指導等により同種犯行を将来繰り返すことはないと期待しうると思われる。

次に、被告人若井および同四戸の両名の情状について考えるに、右両名の捜査機関に対する供述調書等を検討すると、同被告人らが同講堂に入り、本件犯行を犯すに至つた動機がさほど強固なものとは認められず、いわばかなり興味本位に同講堂に入つたもので、犯行内容も格別兇悪執拗であつたとは認められず、また本件犯行について一応は後悔していると考えられる。

被告人松木は、本件犯行にあたつて、ことに一九日にはかなりの回数の投石行為をしていることが認められるけれども、九州の私立の幼稚園教員の養成所を中途退学した女性であつて、本件犯行において、被告人らの間でさ程重要な役割を果したとは認め難い。

したがつて右三名の被告人らは被告人本多、同藤川を除くその余の被告人らのなかではその責任は比較的軽いものと認めるのが相当である。

被告人三井は、東京大学の学生で、反帝学評の議長であり、被告人らを最も強力に指導して本件犯行にいたらせたものであると認められ、前科や前歴も最も多いので、被告人らのうちでは最もその責任が重い。

被告人圷は東京大学の学生であつて、本件において他の被告人らを班別に編成して交代で投石を行うことを指示したことは明らかであつて、その地位、年令、前科、前歴などを綜合すると、同被告人は被告人三井に次いで責任が重いと認めるべきである。

被告人秋月は、早稲田大学を終えたもので本件においては特に他の被告人らにぬきんでて指導的役割を果したと認めるに足りる格別の証拠はないが、その年令、前科、前歴等を併せ考えると被告人三井および同圷に次いできびしく刑事責任を問われなければならない。

右被告人らについて特に認めうる前記各事情のほか、被告人らが本件犯行を犯すにいたつたと思われる前記の心情、被告人らが犯した本件犯行の手段、態様、結果の重大さ、社会的影響、被告人らの法無視の態度などの諸事情を考慮し、それぞれ主文掲記のとおり量刑することとし、被告人本多および同藤川については前述のとおりの事情により、その刑の執行を猶予するのを相当と認められるのでその刑の執行を猶予することとするが、その余の各被告人らにいずれもその刑の執行を猶予すべき特段の事情は認められないからいずれも実刑を科することとする。

そのほか、各被告人らについて未決勾留日数についてはその長短、訴訟費用については各被告人らと各証人らとの関連性の度合等の諸事情を考慮し、それぞれ夫決勾留日数の算入、訴訟費用の負担を各主文掲記のとおりこれをなすこととする。

よつて主文のとおり判決する。

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